あかんたれブルース

継続はチカラかな

ボケ対おっちょこちょい



老いというのは死と同じで
運動機能から思考力まで
宿命的に絶対的に必然としてあるものです。

だいたい50歳を境にして堅調になる。
あとは個人差と自覚するかしないかだけ。
わたし自身もそれを痛感していますが
それ以前に、幾人かの恩師や先輩が
この老いでボケてしまったのを目の当たりに
する苦い経験もしてきました。
当人が自覚していないぶん、
よけいにあれはつらいものです。
無論、家族の介護とは別次元の話でですよ。

風立ちぬ永遠の0
どちらも零戦をテーマにした物語だ。
どちらもなんだかんだ批判された作品でもある。
ところで、その作者である
宮崎駿百田尚樹が揉めてる揉めたらしい。
知らなかったです。

発端は宮崎駿が『永遠の0』を
「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」

と酷評したことからで、
百田尚樹としては、それ以前に『風立ちぬ』を
絶賛したばかりだったので、びっくり。
そこから一転して宮崎に対して
「私は徹底して戦争を、特攻を否定している」
「宮崎さんは私の原作も読んでませんし、
 映画も見てませんからね」
そして、「あの人、○○大丈夫かなぁ、と思いまして」

百田氏がおっちょこちょいだと
前回の記事には辛い批評をしたのですが
ま、それは正直者ということでもあり
何も作家が聖人君子である必要もなく
例の梶原一騎を例に出すまでもありませんが
それも個性かと、思う。

この件の非は宮崎さんにある。

永遠の0』を嘘八百というのはチト酷すぎ。
あのなかのエピソードは戦記マニアなら
(学研とかふくろうの本とかの)
定番のスタンダードなものです。
百田さんはそういうのをツギハギして
一本の「小説」にした。
そのソースは宮崎さんの『風立ちぬ』と
同レベルのもであり、
コアな戦記マニアにすれば生ぬるい
物足りない、何を今さら、なのでしょうが
白紙に近い一般人にしてみれば、それはそれで
なるほどなんだと思う。
自虐史観の影響を受ける、もしくは無関心な
人たちにはちょうどよい刺激物だったのでは
ないかと思う。

あれを嘘八百というとブーメランのように
自身の作品さえも否定しかねない。
という以上に、特に『永遠の0』が戦争や特攻を
美化したとは思えない。

「相変わらずバカがいっぱい出てきて、
 零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。
 戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」
宮崎さん、それをいったらお仕舞いだよ(涙)

それいったら『風立ちぬ』に対しても同じゃないか。
こういう発言が出るのは
百田さんがいうように宮崎さんはあの作品を
読んでもいなければ観てもいないと推測は正しい。
じゃなかったらバカだよ。

作品のテーストとしてはとても近い。
それを・・殿御乱心めさるな、だ。
この人何もわかっていない。
そのバカの本質と実態を。

だいたい、作家が政治的な口を挟んで
ロクなことがない。百田さんにしてもだけど。
確か宮崎さんは『風立ちぬ』公開時に
韓国に対してグダグダ自論を述べていましたが
作家はその作品で勝負すればいいのだ。
そういう場があるのだから。

どうしたんだ宮崎駿

その答えは、老いだね。
世代的なものもあるでしょうが
老いから思考が硬直してしまっているのだ。
引退すると公言したならば
その公約通り、綺麗に引退すればいい。
もう十分やったじゃないか。
後年のポニョもアリエッティも評価できない。
千と千尋ハウルの動く城で枯れ尽くしてしまった
のではないか、と思います。わたしは。

ジブリ自体も宮崎駿という重石で
若手が身動きとりづらいわけで
鈴木プロデューサーもそれが悩みのタネ
なのではないでしょうか。

何れにしても、目糞鼻糞の論争なのでした。