あかんたれブルース

継続はチカラかな

フォルモサとニッポン


台湾が戦前に日本の統治下になったのは
日清戦争によって清国から割譲されてから

ここから日本の台湾経営がスタートしましたが
それが軌道にのるのは
四代目総督に児玉源太郎が就任した明治31年からだった。
下関講和条約から約二年半後のことです。
児玉は力だけでなく民福を図るを旨として
民政長官に抜擢した後藤新平と共に
いや杉山茂丸と三人三脚で様々な改革に取り組んだ。

農業改革、産業育成、教育、治安維持、衛生(阿片撲滅)、治水、インフラ整備などなど
多くの日本人の努力と血税が注ぎ込まれたのだった。
これをみた欧米人はナンセンスと叫んだことでしょう。
当時の世界認識において植民地とは
搾取するためだけのものだったからです。
そういうものと、日本人の植民地統治を一緒に
してはいけないんですけどね。

さて、そんななかでも
嘉南大?祁などの水利設備に貢献した
八田與一(与一)の名は日本人は忘れても
台湾の人達は忘れない。

この八田がほんのすこし登場する映画があります。
演じたのは大沢たかお(主役じゃないよ特別出演)

KANO 1931海の向こうの甲子園

2014年の台湾映画です。まぎれもない、
そして日中(中華民国)の合作じゃないよ。

で、このタイトルの甲子園ってなんだ。

1931年第17回の全国中等学校優勝野球大会に
嘉義農林学校(現在の国立嘉義大学)は
台湾代表として出場した。
台湾が日本であり台湾人も日本人だった頃の話。
強制じゃないよ(^-^; 選抜甲子園。

で 、嘉義農林学校( 通称農)のチーム編成は
日本人、中国人、先住民族の混成チームで
映画では日本語、台湾語客家語、原住民語が飛び交う
グローバルなアパッチ野球団だったのであります。
監督は松山商業野球部監督だった日本人。
で、この嘉農が強い強い
台湾人のエースアキラを主軸に鉄壁のトライングルや
盗塁王など多士済済でなんと決勝まで勝ち進んでいく。
その活躍に日本全国が熱狂した。
そして迎えた決勝の相手は屈指の名門
強豪中京商業は
この年から三連覇という偉業を達成している。

つまり、嘉農は決勝で敗れたわけです。
しかし、にわか仕立ての混成チームであっぱれです。
因みに大正10年から韓国、満州も出場していた。
強制?
馬鹿者、主催は朝日新聞社だ。

音楽やスポーツに国境はないというけれど
日本中が熱狂し声援を送った甲子園
そこには日本の統治下というのはあったとしても
私達が考える「植民地」というものとは異質なもの
だったのではないか。
差別や偏見は、同じ日本人同士のなかでもある。
そんなことよりも
いまから八十数年前にチーム嘉農に日本中が
熱いエールを送った。

そして長い戦争の時代に突入する。

台湾人も日本人として戦場に駆り出された。
そのなかで高砂義勇隊の勇猛さは特筆ものだった。
高砂とは台湾原住民高砂族のことである。
こういった山岳民族が台湾統治下の治安悪化の元凶
でもあったのだ。首狩り族だったのだ(>_<)

台湾征伐から台湾統治の半世紀
よくマコトシヤカに語られる日本の植民地支配って
どんなものだったんだろうかね。

靖国』のなかで
台湾の市民団体の女性が
台湾人を代表するとして、靖国神社の合祀に
強く抗議していた。
彼女の親族が高砂義勇隊として戦死して
靖国神社に合祀されているのが不服だという主張。
そんなに嫌がってるのなら削除すればいいのに
と考えるわたしは変なのでしょうか?

それよりも、彼女たちは
台湾を台湾人を代表するというけれど
代表してるのかなあ

いろいろな人がいていろいろな考えるもある
のはわかるけれど、わかるけれどねえ。