あかんたれブルース

継続はチカラかな

昭和大恐慌の黒幕

メディアと民主主義(16)細川隆元(2)


 話を関東大震災後から四年後の昭和二年(一九二七年)に戻す。

 この日、三月十四日の衆議院予算総会は大揺れに紛糾していた。
 関東大震災で発行された「震災手形」の問題が政争となって、
 野党政友会は各銀行の保有額を公表すべしと
 片岡直温大蔵大臣に切迫していた。

 その答弁の最中の片岡蔵相に一枚のメモが届く。

 「渡辺銀行休業」

 大蔵次官から渡されたこのメモに、
 激しい追求のなかで思考能力が低下していたのか、
 片岡蔵相はついそのまま、そのメモを読み上げてしまった。

 「ただいま渡辺銀行が休業しました」

 これが大変な騒動となる。
 実は渡辺銀行の休業は決定ではなく、大蔵省への内報であり、
 実際はなんとか休業は免れ営業再開となるはずだった。

 ところが、
 これを決定と早合点した蔵相が「しました」と発言してしまったのだ。
 しかも国会の予算総会の答弁の場でである。

 これによって渡辺銀行の取り付け騒ぎが発生し、
 いわゆる昭和大恐慌に発展する。
 いわば大蔵大臣の失言が大恐慌を生んだわけだ。
 ここまではよく知られるエピソードであるが、
 ここに朝日新聞が一枚噛んでいる。

 この問題には震災手形の問題が大きく関わっていた。
 震災手形とは関東大震災のため支払いができなくなった手形であり、
 それをモラトリアム(支払い猶予)として実施した政策から生まれた名称だが、
 これが不良債権化していた。
 政府はその期限を延長して混乱を避けようとしていた。
 それを震災手形損失補償法案というが、
 これを問題として野党は追及していたのだ。
 翌日、渡辺蔵相は貴族院の審議に場所を移してさらなる追求を受けた。

 その動きを注意深く観察していた新聞記者がいた。
 細川隆元
 関東大震災の年に朝日新聞社初の入社試験に合格した
 若手の敏腕記者である。