2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧
私たちは神秘的なものに興味を惹かれます。 それ故に壷や観音様を買わされたり悪徳宗教の被害に遭う方々も多いようです。 騙されないようにしてください。 とはいえ、私が「この世の法則」なんて宣うのもインチキ臭いでしょ。 一応、私が毛嫌いするカルト教…
この世の法則を探っていました。 以前、このブログで孟子の言葉を紹介しましたよね。 「天がその人に何かの役割を与えるとき途方もない試練を与える」 なぜか? 与えられた仕事を成し遂げるのに、その者たちが現状あまりにも非力であるからです。 その試練を…
「六次の隔たり」という考え方があるそうです。 「地球上の任意の二人を選んだときに、 その二人は六人以内の人間関係(知己)で必ず結ばれている」 というものです。 本当かしらん? と思うのですが、なんか本当のような気がします。 今週末、ブログで幾つ…
私の父は大正15年の生まれです。 「仁義なき戦い」の広能昌三のモデル美能幸三と同じ歳です。 笠原和夫のように戦地に赴くことなく終戦を迎えました。 大阪の松下電器で働いていましたが、招集令状が届き、一度帰郷。 旅立ちの朝、駅での見送りのとき父の父…
昨日のハゲタカが狙う子供の写真の話 私の記憶は曖昧ですが、確か、あの写真はジャーナリストへの最高評価とされる ピューリッツア賞を受賞したのではなかったでしょうか。 私が見た写真はアングルも違いモノクロでしたから、もしかすると違うのかもしれませ…
『はだしのゲン』とシンデレラ(3) 私たちは誰もが幸せになりたい。そして、それを願っている。 戦争というものが国益を追求することから発しいるとすれば、 私たちの幸せもそのうえに成り立っています。 「戦争はなくならない」ことは理解できます。だから…
『はだしのゲン』とシンデレラ(2) 昨日は急な仕事で外出してまして、ブログの構成がめちゃくちゃになりました。 いつもの成り行きで話、すすめます。 さて、昨夜「戦争はなくならない」といったのはスクラップ成金か?やくざ?でした。 発言者がああだと「…
昨日、図書館から『はだしのゲン』8、9、10巻を借りてきました。 本当は4、5巻あたりの戦後跋扈する広島のやくざの箇所を確認したかったのです。 終戦直後の広島市内でゲンの友人がやくざチンピラになってしまう場面記憶有り。 あれは映画「仁義」でいうテキ…
昨夜のNHKの寅さんの番組ご覧になりました? 再放送のようでしたがよかったですね。 たまたま前の晩に幸子が来て太った話とこの番組の話をしてましたが、 前者は上の空、後者は興味深く聞いていたところでして、それが翌日観れてラッキーでした。 渥美清…
中村天風といえば宗教家として、現在でも自己啓発本で根強い人気の方です。 作家の宇野千代など熱狂的な信者多数。(宗教家とか信者という表現がいいのかどうか?) この人が日露戦争の頃「人斬り天風」という渾名で恐れられていたって知ってます? また、当…
前記事からの続き 阪神大震災のときそんな暴動デマ虐殺行為はおきません。 それどころか全国からボランティアが被災地を目指します。 普段は脆弱とか批判するのですが日本人の民度の高さがそこにあるの事実です。 たとえ一部であっても。 これは東京ディズニ…
昨夜、東三河通信さんから下記のコメント有り。 >「朝鮮人に対する差別が日本の庶民の中に根を下ろしてくるのは、意外に新しい。 >おそらく明治に入って、日本が朝鮮半島を植民地にしてから後の現象ではないかと思います。」 >という網野善彦の意見に全面…
というわけで、「仁義なき戦い」の「仁」を語ったので(語ったか?)、 「義」も語ります。(強引な論法じゃ) 注)仁義の仁は「愛」じゃなかった。(前記事参照) 義理と人情を秤に掛ければ、義理がハナ差(0.1秒)勝るのが男の世界だそうです。 この「義」…
ここ最近、すでにひと月近く、児玉源太郎の本質を探るために論語など読んでいました。 先日、儒教でいう「仁」の意味合いにふれ、それがへりくだったスタンスから発せられる。 と言う記述に、「仁」を「愛」と解釈することに無理を感じてしまいます。 作業は…
『GO』の主人公はパチンコ屋の景品交換を生業にしていました。 私の知人もこれとまったく同じ境遇で物心つくと母親に連れられてやくざの事務所を訪れていた。 とのことです。 パチンコ屋と在日の関係は深いです。 映画『仁義なき戦い』に新開(三上真一郎が…
在日や被差別部落の多い地域ならば比較的にその存在を意識することでしょう。 地域によっては知らない人はまったく知らないでしょうが。 企業はそれらの出身者を入社させることをためらいました。 ひとつにはその解放運動や庇護者となる団体を問題視すること…
日本の戦後における社会構造と日本人の在り方、そして差別。 これがこのブログの「仁義」記事のひとつのテーマです。 「仁義なき戦い」という手記原作映画等から私たちは色々なことを考える ヒントにできると、私は考えました。 「仁義なき戦い」の価値を高…
この作品制作当時、つまり1972年頃ですか。 日本映画は衰退の一歩をたどっていました。 日活、大映の倒産です。一時両社はダイニチという映画会社を作りますがダメです。 それ以前に多くの俳優たちがテレビや他社に仕事を求めました。 これが、もうひとつの…
つづく、として、何ですが 『仁義なき戦い』が映画化されるには様々なドラマ(ドタバタ)がありました。 監督でまず難航。 この映画は深作欽二の代表作であり、彼の存在抜きには語れない作品です。 ところが、当時の深作欽二はまったくパットしない売れない…